要約
企業が新たなデジタル技術を活用した新たなビジネスモデルを創出し、柔軟に改変するDXを推進していく中で、対応しなければならない課題は「レガシーシステムのモダナイゼーション」、「デジタル人材育成」が挙げられる。それらの技術的解決策である「SoE・SoR・SoI同時進化」、「共創型開発」について述べる。最後にDX 成功のための今後の挑戦について述べる。
1.はじめに
本稿は、雑誌『技術士』2021年7月(特別号)で掲載された論文を転載したものです。
Digital Transformation (以下、 DX )とは、経済産業省「DX 推進指標」 (注1) より、「企業が Business 環境の激しい変化に対応し、 Dataと Digital 技術を活用して、顧客や社会の Needs を基に製品や Service 、 Business model を変革するとともに、業務そのものや組織、Process 、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と定義されている。
本稿では、筆者のDX 実現経験、情報通信技術 5G 普及による DX 加速への期待、技術の未来について述べる。
2.DXの課題
2.1 現状
経済産業省「DXレポート2(中間取りまとめ)」によれば、2020年10月時点での企業500社の9割以上の企業がDXに全く取り組めていないか、散発的実施に留まっていることが分かった(注2)。また、一般社団法人日本情報システム・ユーザー協会の調査によれば、90 %の企業がレガシーなシステムを抱えており、そのうち80%近くの企業が「DX推進の足かせ」になっていることが分かった(注3)。さらに国内企業のIT予算の80%がシステム維持運営に割り当てられており、新しい投資が困難なことを示していることが分かった(注4)。そのほか、経済産業省「IT人材需給に関する調査」によれば、IT人材は2025年には36万人、2030年には45万人不足すると予測している(注5)。
2.2 課題
DX取り組み状況の現状から、「レガシーシステムのモダナイゼーション(最新化)」、「デジタル人材確保・育成」が課題である。
(1)レガシーシステムのモダナイゼーション
一般に企業が抱えるレガシーシステムは、企業の事業継続を支えるものである。これはベンダ企業が何十年も前に受注型で独自開発したものが多く、法改正、新サービス対応などの度に改修を積み重ねてきたため、ソフトウェア構成が密結合となっている。また各部門でシステム最適化を優先してきたことからシステムが複雑となり、企業全体でのデータ活用/管理が困難となっている。今後、ビジネス環境変化への迅速な対応などを行うためにも当該システムのモダナイゼーションが必要である。
(2)デジタル人材育成
レガシーシステムのモダナイゼーションによりシステムの複雑性を解消し、保守性を向上させることで、段階的に維持運営のIT予算を削減することが可能になる。さらには維持運営の人員リソースも削減することが可能になる。DX成功に向けてこの予算と人員リソースをデジタル技術活用に充当し、デジタル人材育成を図ることが必要である。
3.技術的解決策
DXではレガシーシステムのモダナイゼーションのみでなく、顧客向けシステム対応の優先度が高くなるため、企業全体のシステムを同時に進化させる必要がある。
同時進化にあたり、まず現状の姿とあるべき姿を作成する。次にあるべき姿と現状の姿とのGAP分析を行い、主にGAP分から個々のシステムを後述するSoE・SoR・SoI(Systems of Engagement・Systems of Record・Systems of Insight)に適用して、同時進化のシナリオを作成する。そしてシナリオを開発方針として策定し、開発を実施する。
この開発過程をユーザ企業とベンダ企業との共創型開発とすることで、あるべき姿を具現化できる。またベンダ技術力をユーザ企業に移転する効果が期待でき、結果、デジタル人材育成に繋がる。
ここでは、図1の主なプロセスに関して、技術的解決策を中心に述べる。
3.1 あるべき姿作成
全体のあるべき姿作成にあたり、全体像を見通すことが難しい複雑なシステムでも個々の機能を分解し整理できるシステム思考法を活用する。
また顧客要求が不明確なものに対しては、観察による状況判断から要求を明確化するOODAループを活用する。ここでOODAループとは、Observe(観察)、Orient(方向付け、仮説)、Decide(意思決定)、Act(実行)の頭文字を取ったもので、まず顧客の観察により状況を把握する。次に状況を判断(仮説設定)し、方向性を決め、どのように行動するかの意思決定を行い、実行する。そして行動の結果を判断し、次のOODAを回すというループを繰り返すことで、変化する状況に応じて行動を修正できる。
(1)システム思考法の活用
現在のビジネス環境を複雑にしている要因として、多様なステークホルダ(利害関係者)が挙げられる。そのため、まずはステークホルダ分析から開始し、以下に示すステップで対応する。
・ステップ1:ステークホルダ分析
企業の事業にかかるステークホルダ間の価値を分析する。価値とはコストに対する便益のことである。便益とはステークホルダにとって「役に立つ」、「重要である」、「効用のある」もので、理想や期待する状態に近づいたときに得られる。例えば、価値は製品やサービスの他に、法律や規則、情報・知識(ノウハウ)・評判などがある。
・ステップ2:機能要求定義
ステークホルダ分析にて明らかにした価値の中で必ず実現する必要のある要求事項を定義する。
・ステップ3:非機能要求定義
機能要求を達成する際に、付加的であればよい要求を定義する。例えば、機能要求が“切符を予約する”ならば、早く(性能)、簡単に(使用性)などの付加要求である。
・ステップ4:要件定義(概要)
機能要求定義事項を機能(システムの挙動)と手段(システム)に分解する。例えば、機能要求が“予約システムで切符を予約する”ならば、機能は“切符を予約する”、手段は“予約システム”である。
また非機能要求定義事項は具体的な達成水準を定義する。例えば、早く予約したいならば、予約時間“1秒以内”である。
・ステップ5:あるべき姿作成
ステップ4で定義した事項をステークホルダ・手段(システム)にて集約し、ステークホルダと手段から見た全体像を作成する。結果、ステークホルダにとってのサービスのみならず法律・規則まで含まれたあるべき姿となる。 筆者は上記ステップをユーザ企業ビジネス担当者とワーク形式によるディスカッション実施で対応してきた。ユーザ企業の経営層とビジネス担当者とではシステム再構築の想いにギャップがあり、ビジネス担当者は既存業務変更に難色を示していた。そのため、担当者の意見をあるべき姿に反映することなどで参画意識向上を図った。また1つでも多く意見を出してもらうように、ブレインストーミング用のICTツール(タブレット端末、及びタブレット端末書込情報共有ツール)を活用する工夫をした。
(2)OODAループの活用
筆者は、顧客要求(顧客ニーズ)が不明確な場合、それを明確にするために、顧客・業務を5W2Hまたは1Hで観察し、感じたことを仮説設定(課題設定)した。次に課題解決案を作成し、顧客に提案してきた。顧客は多忙であったが、日々数分でも時間を確保してもらい、これら活動をスピーディに繰り返す工夫で顧客の潜在ニーズ発掘に努めてきた。
3.2 開発方針策定
(1)システムアーキテクチャ分析
ステップ4の要件定義事項を「全体-部分」に着目して分解する。その際にモノやパーツ、時系列、業務プロセスなどに着目して分解する。
(2)OODAループの活用
筆者は、顧客要求(顧客ニーズ)が不明確な場合、それを明確にするために、顧客・業務を5W2Hまたは1Hで観察し、感じたことを仮説設定(課題設定)した。次に課題解決案を作成し、顧客に提案してきた。顧客は多忙であったが、日々数分でも時間を確保してもらい、これら活動をスピーディに繰り返す工夫で顧客の潜在ニーズ発掘に努めてきた。
① SoE・SoR・SoIの概要
SoE・SoR・SoIとは、企業の情報システムを役割に応じてそれぞれの領域に分類させて、目的に適する技術を適用させる考え方である。
• SoE:顧客との関係強化を目的としたチャネル系システム群でクラウド、API連携などの技術を駆使している。迅速性・多様性重視となる。
• SoR:企業内のビジネス遂行を目的とした業務系システム群で、上記レガシーシステムの場合が多い。事業継続性確保重視となる。
• SoI:顧客インサイト(顧客の欲求や行動心理など)を理解することを目的にした情報系システム群で、AIなどの分析系技術を駆使している。
これら3領域の連携例として、SoRの顧客購買実績などの構造化データを基に、SoEで顧客への購買促進情報(レコメンド情報)を生成する。SoIではSoE・SoRの全情報システムの情報を蓄積して、インターネット上の情報も合わせて統合的に顧客情報を分析することで、SoEでのレコメンド情報改善、SoRで提供すべきサービス・商品のレコメンドを行う。そしてこの分析サイクルを迅速化することで、企業価値を高めることができる。
② SoE・SoR・SoI同時進化のシナリオ
筆者は以下に示すステップでのシナリオを作成し、実施してきた。
・ステップ6:共通データ基盤構築
統合データベース環境を構築する。そして共通マスタ・トランザクションファイルを作成する。
・ステップ7:共通データ基盤との連携環境構築
共通データ基盤とSoE・SoRとのデータ連携環境を構築する。そして、SoE・SoR間でのAPI連携環境を構築する。さらに、SoRの疎結合化を行う。
・ステップ8:デジタル技術の取り込み
SoEの技術的改善及びSoIへのデジタル技術取り込みを行う。
・ステップ9:SoIとSoE・SoRとの連携環境構築
・ステップ10:SoR再構築(老朽化対応)
(3)IT 技術選定
SoE・SoR・SoIに適する技術選定が主であるが、筆者は、ユーザ企業への技術力移転に関し、マイクロサービスアーキテクチャ等の疎結合アーキテクチャ選定・導入の工夫をした。具体的には、ユーザ企業がサービスモジュールを組み合わせて容易にサービス開発をできるようにした。これは、ツール類活用で、マイクロサービス化された「データ分析」、「AI」のモジュールと、データ統合基盤からの「データ取得」モジュールを呼び出し、「取得したデータ分析」、「結果のレポート化」、「メール送信サービスとの連携」、「顧客へのメール送信」の一連処理を自動で行える仕組みを容易に開発できた。結果、従来これらサービス開発に数人月要していたが、数人日でできるようになった。
3.3 開発
SoE・SoR・SoI 同時進化のシナリオに従っての開発となるが、筆者は上記SoE・SoI(ステップ8、ステップ9)について小さい機能単位でのスピーディな開発を行うアジャイル手法選定・導入の工夫をした。また、これは市場リリースした後も市場・顧客要求変化に合わせて頻繁に機能を開発していく手法である。
4.筆者の今後の挑戦
筆者は技術士(情報工学部門)に登録して、約6年が経過した。その間に、ITコンサルタントとしてデジタル技術を活用したビジネスモデル変革企画やサービス開発に従事してきた。
今後、企業がDX成功に向けては企業にかかわる複雑化するステークホルダの実在するニーズ、潜在するニーズの明確化を行い、全体のあるべき姿を俯瞰的に作成するシステム思考法の活用が重要である。そのため、システム全体を俯瞰して企業のDX成功及びDX人材育成を実現するDXプロフェッショナルが必要とされる。このDXプロフェッショナルの役割には、「高等の専門的応用能力」を備えた技術士が担うことへの期待が大きいと考える。
筆者はDXプロフェッショナルとなり、上記役割を全うする他、さらにDXプロフェッショナル人材確保・育成に挑戦する。また、DXの要素であるAIなどの新技術にはその結果が将来社会に与える影響は未知数であることも多く、様々な問題が潜んでいる可能性もある。そのため、自身が導入推進した先端技術が将来どんな影響力をもたらすのかを予測するリスクマネジメント力及びシミュレーションなどの関連する技術力を高めていく次第である。